「世代論」という罠─
─本当の格差は出身地にある─
「最近の若者は〇〇だ」
「氷河期世代は損をした」
「Z世代はデジタルネイティブで柔軟だ」
世代でひとくくりにする議論は分かりやすい。
しかし、バイアスを含んでいる。
東京に住むうえで、
同じ世代でも、東京出身者と地方出身者では、
スタートラインがまるで違う。
詳しくみていこう。
見えないバックボーンの差
東京出身で実家暮らしの社会人を想像してほしい。
- 家賃:ゼロ
- 食費:ほぼゼロ(5万円程度家に入れる)
- 給料:ほぼ全額が可処分所得
手取り25万円なら、25万円が使えるお金」だ。
NISAを満額積み立て、趣味に使い、
貯金もできる。つまり軽やかに生きている。
しかし、これは本人の能力や価値観ではなく、
生まれた場所の問題だ。
まさに実家ガチャだ。
一方、地方から上京した社会人はどうか。
同じ手取り25万円でも——
- 家賃:10万円
- 食費:4万円
- 光熱費・通信費:2万円
- 奨学金返済:2万円
**残り7万円で生活する。**
NISAどころか、緊急予備費すら満足に積めない。
同じ会社、同じ給料、同じ世代。
しかし、毎月使える金額は3倍以上違う。
これを「世代の問題」と括るのは、根本的に間違っている。
**「軽やかさ」の正体**
東京出身者が「身軽に見える」のには、
もう一つ理由がある。
**バックボーンという安全網**
- 何かあれば実家に帰れる
- 親が資産を持っている
- 親のコネクションがある
- 地元の友人ネットワークがある
この安全網があるから、
転職も、副業も、投資も、リスクを取ることができる。
地方出身者が慎重に見えるのは、臆病なのではない。
失ったときに戻れる場所がないからだ。
「実家が太い」という言葉が
若者の間で流行ったのは、
この格差を本能的に感じ取っているからだ。
<<世代論が都合よく使われる理由>>
では、なぜ「世代論」は消えないのか。
それは、世代でくくると、
都合が良い人たちがいるからだ。
「Z世代はこういう価値観を持っている」
と言えば、企業はマーケティングしやすい。
「氷河期世代は自己責任だ」と言えば、
政策の失敗を個人に転嫁できる。
「今の若者は恵まれている」と言えば、
上の世代は自分たちの苦労を正当化できる。
世代論は、構造的な問題を
見えにくくするための煙幕であるとも言える。
本当に問うべきは「何年生まれか」ではなく、
「どこに生まれたか」「どんな家庭に生まれたか」だ。
スタートラインが違う人間に、
同じ物差しを当ててはいけない。
<では、何が必要か>
世代論は、分かりやすいが、不誠実だ。
世代論の罠から抜け出すために、
一つは、自分のバックボーンを認識すること。
自分が「軽やかに見える」のは、
本当に自分の努力の結果だけなのか。
それとも、生まれた場所が与えてくれた安全網があるのか。
もう一つは、構造を変える視点を持つこと。
個人の努力だけでは埋められない格差がある。
その人たちが「軽やかになれない」のは、
意志が弱いからではない。
8がけ社会に向かう日本で、この格差は拡大する。
地方が衰退し、若者が都市に集中し、
都市の生活コストが上がる。
地方出身者が都市で生き抜くための重力は、
これからますます重くなる。
その重力を知っている者が、
次の戦略を考えることができる。




