2026年9月1日火曜日

目に見えないものに委ねない【特別編】

──ブラックボックス化する世界と

 「個人のレジリエンス」


9月1日は「防災の日」だ。


しかし今年の防災の日に、

私が考えたいのは備蓄の量でも避難経路でもない。


もっと根本的な問いである

「私たちは今、どれだけ自分で考え、

 判断できているのか。」



便利さと引き換えに失った

「中身のわかる世界」


ふと見回すと、私たちの身の回りには

「目に見えないもの」「仕組みが分からないもの」

が溢れている。


かつて、家電や機械は壊れても裏蓋を開ければ

仕組みがなんとなく分かった。

簡単な修理なら自分でできた。


しかし現代の製品は

高度にブラックボックス化し、

不具合が起きれば専門業者に依存するしかない。


そして今、

そのブラックボックス化の最高峰として

私たちの生活に深く根を下ろしているのが

——**AI(人工知能)**だ。


手のひらのスマホを開けば、

AIが次の行動を提案し、文章を整え、

最適なルートを指示してくれる。

私たちは思考のコストを削減し、

圧倒的な利便性を享受している。


しかし、ここで一つの問いを投げかけたい。


「仕組みも分からない巨大なブラックボックスに、

 私たちは自分の生活や判断を

 どこまで委ねていいのだろうか?」


社会の脆弱性と「生命力の低下


社会全体がAIやデジタルインフラに

過度に依存した構造は、極めて脆弱だ。


万が一、大規模なサイバー攻撃や

未曾有の自然災害によって電源喪失が起きれば、

社会機能は一瞬で麻痺する。


どれほど優秀なAIであっても、

電気という一次インフラが絶たれれば、

ただの無機質な箱に過ぎない。


災害時に私たちが真に確保すべきなのは

「高度なアルゴリズム」ではなく、

命を繋ぐ「水」と「電源」だ。


しかし問題は社会構造だけにとどまらない。


個人レベルの「人間性」や「生命力」にも

及んでいる。


何でもAIやスマホに頼り、自ら考えたり、

身体を動かす機会を放棄し続けると、

個人の生存力(レジリエンス)は衰退していく。


思考や判断を外部のブラックボックスに

丸投げした状態は、危機に瀕したとき、

あまりにも無力だ。


個人のレジリエンスを

高める2つの処方箋


非常時に大切な人を守るために、

私たちが今すぐ取り組むべきは

「個人のレジリエンス(立ち直る力・適応力)」

を高めることだ。


そのためには、

二つのアプローチが必要だと考える。



①物理的備蓄の確保

 ──インフラのバックアップ


スマホの画面上でどれだけ情報を持っていても、

水が出なければ生きられない。


水と非常用トイレの確保: 

最低でも数日分の飲用水と衛生環境を保つ備蓄

アナログな手段の確保: 

電源が落ちても機能するポータブルバッテリー、

手回しラジオ、アナログな地図


これらは「念のため」ではなく、

「必ず来る日のため」の準備だ。


インフラは必ず老朽化し、

必ず想定外の事態が起きる。

「まさか」は、いつか「やはり」になる。



②「デジタル断ち」による

 自力の再構築


AIやスマホを使わない「自力」を鍛えること。


体力と直感力:

自分の足で歩き、

現場の状況変化を五感で察知する力

判断力と決断力:

  検索結果やAIの提示に頼らず

「今、どう行動すべきか」を

自分の頭で考え抜く習慣


週末に一度、スマホもAIも一切使わずに

1日を過ごしてみることは有用だ。


自分がどれほど外部の端末に判断を

委ねていたかに気づくはずだ。

同時に、五感を使って考え、行動する感覚

——いわば「野生の生命力」が呼び覚まされる。


「個人が強くなること」が

「社会を強くすること」だ


個人のレジリエンスを高めることは、

単なる「自己防衛」や「打算」ではない。


自力で生き延びる力を持つ人間が増えれば、

その分だけ公的支援や救助の手を、

本当に助けを必要としている高齢者や子ども、

負傷者へと振り向けることがきる。


「個人が強くなること」は、

社会全体の「共助の力」を

高めることに直結している。

8がけ社会では、行政や専門機関の救助(公助)

に限界がある。


一人ひとりが

「自分の足で立ち、判断できる個」となり、

お互いを支え合うこと。


それこそが、縮小していく社会を生き抜く作法だ。


田内学さんの言葉を思い出す。

「お金の向こうに人がいる。」

同じように、災害の向こうにも、人がいる。

停電した街の向こうに、水が届かない家庭がある。

道路が寸断された集落の向こうに、

助けを待っている人がいる。


AIもスマホも使えない極限の状況で、

最後に頼れるのは——

自分の判断力と、隣にいる人間だ。



結び──今日という日に


目に見えない便利すぎるシステムに、

全幅の信頼を置くのはやめよう。


防災の日に、自宅の備蓄を点検するとともに、

自分自身の「生命力」と「判断力」の現在地を、

静かに見つめ直してみたい。


壊れにくい社会は、

壊れにくい個人の集まりから生まれる。


★まもなくアジア大会!









2026年8月29日土曜日

拝啓パワーカップル様

 

 拝啓


 住宅ローン50年を組んだ

 パワーカップル様


 あなた達こそ日本の宝です。


 あなたたち夫婦は 

 都内の新築マンションを8000万で買い、

 病める時も健やかな時も

 毎月20万程度のローンを

 夫婦で50年間ずっと払い続ける未来が

 待っています。


 あなた方ご夫婦が 互いに29才とすると

 50年ローンで79才まで

 払い続けることになります。


 私はお世辞でもなく、嫌味でもなく、

 あなた方お二人を本当に

 日本の宝だと思います。


 だって、

 少子化で8がけ社会と言われる

 日本でこれから50年にもわたって

 労働市場に残り

 夫婦共に働いてくれるなんて

 こんなに心強いことはありません。

 

 二人共、銀行からお墨付きをもらっている

 社会的な信用もあり、

 社会性と良識のある人間です。


  生涯独身を選ぶ人もいる。

  FIREを目指す人もいる。

  転職を繰り返す人もいる。


 それぞれに、それぞれの人生戦略がある。

 ただ、あなた方は違う。


 住宅ローンという巨大な契約を背負い、

 二人で働き続けるという、

 極めて社会貢献度の高い選択をされた。


 二人の覚悟には敬意を抱いております。


 それにしても銀行様の

 巧みな戦略には舌を巻きます。


 ペアローンという巧みな合わせ技で、

 50年間ずっと利息を受け取り、

 最終的に1.5倍のお金を払ってもらう

 契約書にサインさせるのですから 


 いうなれば

 教会で神父様は

 神の前で互いの愛を確認しますが、

 神父様ご本人でさえ、

 50年変わらぬ愛と支払いは誓えないと

 思います。


 結婚式を思い出してください。

 神父様のおっしゃる通り、

 50年の間にはいろいろ懸念されます。

 大雨特別警報/ゲリラ豪雨/スーパー台風

 内水氾濫/酷暑/巨大地震

 金利上昇/

 旦那の浮気/キャバクラ/マッチングアプリ

 まさに”病めるとき”もあると思います。


 ですが、

 「その時はその時」と割り切り、

 大きな決断をされたお二人に

 どうか神のご加護と祝福がありますように。

 



2026年8月22日土曜日

氷河期世代は損をしたのか

 

モラリストは就職氷河期世代だ。


自分が卒業したのは2003年。

就職氷河期の真っただ中だ。


「自分は就職できるのだろうか。」

そんな不安が、常にどこかにあった。


「公務員か、大企業か」

という時代


当時は、公務員が最強の勝ち筋。大企業、

いわゆるJTCに入ることが正解。


そんなヒエラルキーが、

はっきりと存在していた。


今振り返ると、

社会が自信を失っていたのだと思う。


バブルは崩壊し、

日本経済は長い低迷期に入っていた。


「この先、日本はもっと悪くなるのではないか」

そんな空気が社会全体に漂っていた。


だからこそ、「安定していること」が、

何よりも価値を持っていた。


リスクを取ることよりも、

「沈まない船に乗ること」

重要だった時代だ。


損をした世代だった。

それは事実だと思う。


氷河期世代が不遇だったことは、否定できない。

就職できなかった。

正社員になれなかった。

非正規雇用になった。


一度レールから外れると、

戻ることが難しい時代でもあった。


「社会は冷たい。」

そう感じた人はたくさんいた。


しかし、

本当に「すべてが不遇」だったのだろうか。


氷河期世代は何も得なかったのだろうか。

少し違う角度から考えてみたい。


①先輩がたくさんいた


モラリストが入社した頃、

バブル世代以上のヒトが職場にたくさんいた。


メールはあったが、

仕事を覚える基本は

「人から教えてもらうこと」だった。


隣の席の先輩に聞く。

現場で教えてもらう。

先輩の仕事ぶりを見て覚える。

飲み会で仕事の話を聞く。


今思えば、アナログな時代だった。


しかしその分、人から人へ、

仕事の経験が伝承されていた。


氷河期世代は、上の世代から

大量の経験を吸収することができた。


②目いっぱい、仕事ができた


当時は、今ほど残業時間に厳しくなかった。

仕事が終わるまで働く。


与えられた仕事をこなす。

「もっとできるようになりたい」と思えば、

自分の時間を仕事に投入することもできた。

これは、「経験の貯金」だ。


若い頃に積んだ経験は、

あとから簡単には買えない。

20代で積んだ「量」は、

30代・40代になってから、静かに効いてくる。



③「せっかく入社できた」


これは今の若い世代には、

なかなか理解しにくい感覚かもしれない。


何十社も受けて、落ちて、また受けて、

ようやく内定をもらう。


だからこそ、「せっかく入れてもらった会社で、

一生懸命やろう。」という気持ちが強かった。


もちろん、これは良い面だけではない。

ブラックな環境でも我慢してしまう。

転職することをためらう。

そんな弊害もある。


しかし一方で、

「与えられた環境で、まず頑張ってみる」

という粘り強さを身につけた人も

多かったのではないか。



④情報が少なかったからこそ、

 目の前の仕事に集中できた


今の若者の方が大変だと思うことは

圧倒的に情報が多いことだ。


SNSを開けば、

「この会社は年収○○万円」

「転職して年収が○○万上がった」

「20代で資産○億円」

「この仕事は将来なくなる」


そんな情報が次々と流れてくる。

「もっといい場所があるのではないか」

という感覚も生まれやすい。


氷河期世代は、目の前にある仕事を、

他に良い条件の会社もなく、

ある種、就職した会社で一所懸命であった。


それが結果的に、

氷河期世代の強さになった部分もある。



⑤同期9人、23年間誰一人

 辞めていない


モラリストの勤める会社では

同期入社は約100人。

同じ職種で入社した同期は9人。


驚くことに、23年経った今も、

9人全員が誰も辞めていない。


9人という人数は、ちょうどいい。

多すぎない。少なすぎない。

互いに交流が続き、

お互いの仕事も、人生も、

なんとなく分かっている。


「失われた世代」という

 物語を書き換える

就職の機会を奪われた人がいる。

非正規雇用に固定された人がいる。

人生の選択に影響を受けた人もいる。


「氷河期世代は大変だった」という物語を

否定するつもりはない。


「だから私たちは、何も得なかった。」

とまで言ってしまうのは、少し違う。



就職氷河期世代は、

人口が増える時代から

減る時代へ


終身雇用から転職社会へ、

アナログからデジタルへ

その転換点を生きている。

これからは、

「人が足りない社会」を生きることになる。


氷河期世代は、

まだ人生の途中にいる


「失われた世代」という名前を、

そろそろ自分たちで

書き換えてもいいのではないか。


激しい変化の入口に立たされ、

そこで生き残る方法を身につけた世代。


これから始まる「8がけ社会」で

年金だけで逃げ切れる世代では

ないことも理解している。


社会に関わり続けることを、

強みに変えられる世代ということだ。


若い頃は、「ヒトが余る社会」で

椅子を奪い合った。


これからは「ヒトが足りない社会」で

椅子を守り抜く番だ。


氷河期世代の本番はこれから始まる








 

2026年8月15日土曜日

能力より『希少性』

 ──年収を決める本当の理由


秋の気配を感じると、食卓に上るのがサンマだ。


サンマはその年の「水揚げ量」によって、

価格が乱高下する。


<豊漁の年>

サンマは脂が乗り、丸々と太って質が良い。

にもかかわらず、スーパーでは

一匹100円程度で並ぶ。

まさに「庶民の味方」だ。

私たちは、安くて最高の質のものを享受できる。


<不漁の年>

身は痩せ、脂の乗りもイマイチ。

それなのに、値段は一匹300円、

時にはそれ以上になる。


ここに、ひとつの「不都合な真実」がある。


「質が良いから高い」わけではなく、

「質が悪いから安い」わけでもない。


サンマの価格を決めているのは、

味の良し悪し(本質的な質)ではなく、

単なる「需給バランス」なのだ。


この単純明快な法則を、

私たちは魚市場では理解している。


これはモノやサービスが高騰している

社会でも同じことだ。


 住宅市場にみる「サンマ現象」


例えば、住宅市場。


今、都心の新築マンションの価格を見れば、

10年前と比較して、驚くほど高騰している。


では、そのマンションの「質」は

10年前より上がっているだろうか?


現実は逆だ。

建築資材の高騰や人手不足の影響で、

専有面積は狭くなり(いわゆる“スリム化”)、

立地も以前なら見送られたような

不便な場所であることも珍しくない。


「狭くて不便」という、

サンマで言えば「痩せている」状態なのに、

供給数が少ない(希少性が高い)とい

理由だけで、価格は跳ね上がっている。


買い手は、

「質」にお金を払っているのではない。

「そこにしかない(数が少ない)」

 という状態でいま欲しいから

 お金を払っているのだ。



給料が上がらない、本当の理由


そして、この法則は、

私たちの「年収」にも適用される。


「経験を積んだベテランで、

 仕事がメチャできるヒト」

「資格をいくつも持ち、専門知識が豊富なヒト」


あなたの周りにも、

こうした「質の高い人材」なのに、

給料が全然上がらないと不満を持っているヒトは

いないだろうか?

あるいは、あなた自身がそうかもしれない。


モラリスト的な視点で分析すれば、

その理由は明白だ。


その業界において、

あなた(またはその職種)に「希少性」が

ないからだ。


どれほど能力が高かろうが、

その仕事をできるヒトの供給が十分であれば、

サンマの豊漁時と同じで、

価格(給料)は上がらない。

本人の能力や努力と、市場価格は、

連動しないのだ。



建設業の「未熟な若手」でも

年収700万稼ぐワケ


一方、モラリストが従事する

建設業の現状はどうだろう。


慢性的なヒト不足。施工管理も作業員も、

恐ろしいほどに足りていない。

業界全体が、深刻な「不漁」の状態だ。


そうなると、どうなるか。


入社3年目、

経験も知識もまだまだ未熟な若手であっても、

年収700万以上の待遇を得ているコが

ゴロゴロいる。


彼らの能力が、他業界の3年目のコより倍近く

高いわけではない。

ただ、「建設業という、ヒトの希少性が

高い市場に身を置いている」という、

その一点において、

高い価格(給料)がついているのだ。



資格取得よりも、

 「どこに立つか」


本気で年収アップを考えるなら、

この視点は不可欠だ。


多くのヒトは、自分の「質」を高めようとする。

難関資格の取得に励み、

スキルアップのセミナーに通う。

もちろん、それは素晴らしい努力だし、

人間としての成長にはつながる。


しかし、「市場価格(年収)」を

上げることが目的なら、

それは効率的な戦略とは言えない場合がある。


いくら「質の良いサンマ」になろうと努力しても、

市場がサンマであふれていれば、

価格は300円にはならない。


資格を取る前に、今の自分のスキルの磨く前に、

考えるべきことがある。


「自分が今いる業界、目指す職種は、

 人材の需給バランスはどうなっているか?」

「そこに、自分という存在の希少性は残るか?」


「何をできるか(能力)」よりも、

「どこに立つか(業界・環境)」の方が、

 年収への影響力ははるかに大きい。



マクロ視点で考える、

「最後に残る希少性」


もっとマクロな視点に立ってみよう。


今後、AI(人工知能)やテクノロジーが進化し、

多くの「能力」や「スキル」が

コモディティ化(一般的化)していく。

人間が努力して身につけた「質」の希少性は、

ますます失われていくだろう。


では、そんな時代に、

最後まで「希少性」が残り続けるものは

何だろうか。


思いつくのは、物理的な制約があるもの、

そして再現不可能なものだ。


**東京など大都市の一等地と言われる土地**

**歴史的価値と制約が守られた、京都の不動産**

**人工物では代替できない、圧倒的な自然の景観**


これらは、どれほどテクノロジーが進化しようが、

増やすことも、他所に作ることもできない。

まさに「不漁のサンマ」の状態が

永遠に続く場所だ。


<モラリストの結論>


私たちは、サンマの値段を見て

需給の現実を知っている。


それならば、自分の人生の戦略においても

その現実を直視すべきではないだろうか。


「社会が今、何を切実に求めているか」


その欠落した部分に、自分の身を置くこと。


これは冷たい打算ではない。


「社会の不を減らす場所に立つこと」でもある。


人手不足の建設業で働くことは、

社会インフラを支えることだ。


希少性のある場所に立つことは、

社会が最も必要としている場所に

立つことでもある。


「どこに立つか」は、年収の問題であると同時に、

「社会への貢献の問題」でもある。


8がけ社会では、その二つが重なる場所が、

最も豊かに生きられる場所となりうる。


 



2026年8月8日土曜日

転職しなかった理由

 

−会社ではなく

 その組織を選択−


23年間、一度も転職しなかった。

その話をすると、こう聞かれる。

「その仕事が向いていたんですね」

「転職する勇気がなかったんですか?」


どちらもちょっと違う。


自分が一つの組織に残り続けた

理由はもっとシンプルだ。


その組織が、最もリターンの

良い選択と思え続けたからである。



就職氷河期世代の選択


自分は就職氷河期世代だ。

同年代には、非正規雇用を選ばざるを

得なかった人もたくさんいた。


転職市場も今ほど活発ではなかった。


しかし、上記の理由だけで

「一社に勤め続けた」のではない。


理由は以下だ。


①大きな組織は

「人材の図書館」である


大企業に所属する価値は、

建物でもブランドでもないと思っている。

**人的リソースの充実だ**

法務の専門家。

技術者。

営業。

財務。

品質管理。

安全管理。


それぞれが長い経験を積んだ

優秀なプロフェッショナルが

各部門に配置されている。


分からないことがあれば、

組織内の誰かが答えを持っている。


私はこの環境を、

人材の図書館」だと思っている。


本を読むように、人から学べる。

これは、大きな組織ならではの財産だ。


②見えない資産が

 静かに積み上がる


2つ目の理由は社会的信用だ。

長く同じ組織で働く人は、

* 銀行から信用される。

* 取引先からも信用される。

これらは履歴書にはあまり書かれないが

最大の無形資産と言える。


他の組織が個人を評価する場合、

「どこで、どれだけ働き続けているか」

を評価対象とする場合が多いのだ。


信用とは、一日で得られるものではない。

時間という複利で増えていく資産だ。


③ 管理職になって見えた景色


最後に挙げる理由は

若いうちは、自分の仕事しか見えない。

「この仕事は向いていない。」

「部署を変わりたい。」

自分もそんなことを何度か思った。


しかし、管理職になって見えた景色もある。

組織は、一人の力では動かない。

売上も、利益も、人材育成も、

多くの人の力を束ねて初めて成果になる。


担当者だった頃には見えなかった世界だった。

もし20代であっさり辞めていたら、

この景色は知らなかったかもしれない。


転職を否定しない

もちろん、転職が正解になることもある。

価値観が合わない。

成長できない。

健康を損なう。

そんな環境なら、離れる検討や行動も必要だ。


私が伝えたいのは、

「転職するな」ではない。

一社に残ることも、転職もどちらも戦略である。


感情だけで決めるのではなく、

今の給料で決めるのでもなく

5/10年先に

自分にとって意味があるのかを考えてみる。


8がけ社会では、

「壊れにくい組織」が

価値になる


人口が減る。

働き手も減る。

企業の廃業も増える。


そんな時代は

組織を見る視点も変わるはずだ。


組織内に大企業のような

優秀な人材がたくさんいなくても、

AIが補ってくれることで

個人が大きな組織同様の

アウトプットができる未来がやってくる。


となると、

選ぶ基準は以下のようになる。

その組織が

・10年後、20年後も社会に

 必要とされる存在なのか。

・新しい事業を生み出せるのか。

・人を育て続けられるのか。


自分はたまたま

フラットに天秤⚖️にかけて

23年間残留しただけだ。


しかし今後の自分を取り巻く変化は

いままでより大きい。

・AIで個人の生産性が劇的に向上する

・コドモがあと数年で独立

・金融資本が充実してきている


就職氷河期の時のように

会社から選ばれるのではなく、

今後は自分自身が

組織を選択する番だと考えている。


需給バランスで翻弄された

就職氷河期世代のささやかな逆襲

なのかもしれない。