「流動化」を拒む見えない鎖
少子化や過疎化が止まらず、
あらゆるリソースが従来の8割に縮む
「8分社会」を迎える日本。
交通インフラや医療・サービスが
維持される大都市圏へ移住した方が、
これからの時代を生き抜く上では圧倒的に
合理的である。
それは誰もが頭では分かっているはずだ。
「不便なら、引っ越しすればいいじゃないか」
外側からは簡単にそう見える。
しかし、多くの人々がその一歩を踏み出せず、
衰退していく地域に留まり続ける。
なぜ私たちは、ここまで「合理的」に
動けないのだろうか。
日本人が無意識のうちに縛られている、
「見えない鎖」の正体を深掘りしてみる。
1. 物理的・精神的な「4つの縛り」
人々がその土地から動けない背景には、
単なる経済的理由を超えた、
幾重もの束縛が存在する。
① 「持ち家」という精神的束縛
かつて昭和の時代に美徳とされた
「マイホーム信仰」。
家を買うことは、その土地にアンカー(錨)
を下ろすことと同義だった。
「せっかく手に入れた家だから」という執着が、
人間の物理的な移動自由を奪い、
精神的な檻(おり)として機能している。
これが最大の要因だ。
② 「お墓と土地」の罪悪感
家から一歩離れようとするとき、
先祖代々のお墓や受け継いだ
土地の存在が脳裏をよぎる。
そこを離れることは、
あたかも「過去への裏切り」であるかのような、
日本特有の静かな罪悪感が足を引っ張る。
③ 莫大な「引っ越しパワー」の枯渇
移動には、精神的・体力的に
尋常ではないエネルギーを要する。
長年溜め込んだ不用品の処分、新しい住まい探し、
そして少なくとも50万円以上は吹き飛ぶ
初期コスト。
変化のコストは、想像以上に重い。
④ 「大海原」へ漕ぎ出す不安
生まれてから一度も
地元を離れたことがない人にとって、
見知らぬ街へ移り住むことは、
地図のない大海原へ航海に出るようなものだ。
そこにあるのは「ワクワク」ではなく、
圧倒的な「恐怖と不安」である。
2. 「現状維持」という、最も楽なリスク
結論から言えば、これは人間の本性である
「現状維持バイアス」の仕業だ。
若い世代であれば、
大学進学や就職を機に地元を離れ、
そのまま都市部に定住するという
「流動化の切符」を自然に手に入れられる。
しかし、一度そのタイミングを逃し、
地域に根を張ってしまった
大人が動くのは至難の業だ。
「このままこの街に住み続けても、
明るい未来は描けない」
そう薄々気づいていながらも、
人間は
「変革に伴う一時的な痛み(チャレンジ)」
よりも、
「ゆっくりと沈んでいく日常(現状維持)」
を選んでしまう。
私たちは、「そこでしか暮らせない」という
先入観の囚人になっているのかもしれない。
家やお墓は、本来あなたを守るための
「椅子」だったはずだ。
しかし、その椅子自体が、
「枷(かせ)」になっているのだとしたら
これほど皮肉なことはない。
2040年を見据えた時、本当に必要なのは
不動産の所有でも土地への固執でもない。
いつでも錨を上げて別の港へ進路を取れる
「思想の身軽さ(流動性)」
ではないだろうか。
「値上げは悪」という呪縛を解く
一冊の本を興味深く読んだ。
「物価とは何か」
その本は、こう教えてくれた。
「値上げは悪いことだ」という
日本固有の同調圧力が、30年の停滞を生んだ。
デフレは「物価が下がって消費者に優しい」
のではない。
値上げを許さない空気が、企業の投資意欲を奪い、
賃金を凍らせ、経済の血流を止めてきた。
私たちに突きつけられた2つの選択肢
では、これからの日本はどうすべきか。
選択肢は、大きく二つある。
①円の価値基準を守る
→ 円を維持し、輸入物価を抑える。
「1ドル=150円」を死守する。
②円安を前提に、物価と賃金の上昇を受け入れる
→ インフレを「悪」と見なさず、
値上げと賃上げの好循環を作る。
私は、②しかないと考えている。
なぜ「円基準を守る」は幻想なのか
①を選ぶということは、
日本が円の価値を守るために、
アメリカの市場規模と戦い続けることを意味する。
しかし、これは現実的ではない
アップル、マイクロソフト、
アルファベット、アマゾン、メタ
この5社の合計時価総額は、
日本の国家予算の数十倍に達する。
日本政府がいくら為替介入をしても、
アメリカの市場規模の前では、焼け石に水である。
円基準を守ろうとする経済対策は、
巨大な濁流に小石を投げ込むようなものだ。
では、
②を選んだ場合、私たちはどう行動すべきか。
まずはマインドセットの転換だ。
「値上げは悪いこと」という感覚は、
30年かけて日本人の深部に刷り込まれてきた。
「値上げを受け入れること」は、
「働く人の価値を認めること」だ。
- 労働力が減る
- 円の価値が下がる
どちらも行き着く先はインフレだ。
「円安前提」で生きる。
縮小を受け入れ、インフレを受け入れ、
その中で豊かに生きる仕組みを作ること。
2040年に向けた唯一の現実的な戦略だ
値上げを怒るのではなく、
値上げを受け入れて賃上げを求める。
呪縛を解いた先に未来がある。
<よく聞く会話>
「キオクシア、買っておけばよかったなー」
「だって14万で買って700万だぜ」
競馬場で聞くようなこの会話。
これは本当に「惜しかった機会損失」
なのだろうか?
少し掘り下げてみよう。
**株高の波に乗れている人は、何%か?**
まず数値で考えてみる。
①NISAや株式投資をしている人
→ 全体の約20%
②その中でAI銘柄に投資して恩恵を受けている人
→ ①×約20%
③爆上がりしても売らずにホールドし続けた人
→ ②×約20%
これを掛け算すると——全体の0.8%。
1%未満では夢がないので、
上がり始めてから買った人も含めて
甘めに見積もっても、せいぜい5%だろう。
残りの95%は、横目で眺めているだけだ。
株高の恩恵を受けていない人が、圧倒的多数だ。
「儲けそこなった」は本当か?
「儲けそこなった」という言葉は、
いかにも手が届きそうな表現だ。
しかし、立ち止まって考えてほしい。
値動きの荒いAI銘柄に大金を突っ込み、
暴落しても、急騰しても、
ずっとホールドし続けられる
メンタルを、自分は本当に持っているか?
キオクシア株を14万円で買って、
700万円になるまで持ち続けられた人。
それは——
持ち株会で売買が制限されていた社員か、
あるいは逮捕・拘留されてスマホを取り上げられ、
売ることができなかった人ではないか。
(冗談めかして書いているが、
これは本質を突いた話だ。)
人間は、株が2倍になると
「そろそろ売ろうか」と考える。
3倍になると「もう十分だ」と思う。
10倍、50倍まで持ち続けるには、
特殊な事情かメンタルが必要なのだ。
「あの時買っていれば」は競馬と同じ
「あの時キオクシアを買っていれば」
「あの時ゴールドを買っていれば」
「あの時GAFAMを買っていれば」
これはいつも言われる言葉だ。
しかし、これは競馬のレース結果を見てから
「この馬を軸にしていれば」と言うのと、
まったく同じだ。
結果が分かってから最適な選択をするのは、
誰でもできる。
問題は、
結果が分からない状況で、どう判断するかだ。
当時、キオクシアを買うことは、
決して「誰もが正解だと思う選択」ではなかった。
半導体市場の見通しは不透明で、
競合他社との競争も激しく、
倒産リスクすらあると言われていた。
「あの時買っていれば」は、
後知恵バイアスという名の幻想だ。
この後悔は、人生にプラスか?
では、「儲けそこなった」という後悔や反省は、
人生にとってプラスなのか?
私はそう思わない。
手が届きそうだったと思うから、
後悔の念が強くなる。
それよりも——
「自分はその選択を絶対しなかった」
と、遠い国の出来事のように回想することで、
自分なりのふんぎりをつけることが
できるのではないか。
「14万円をAI銘柄につぎ込む」という選択。
「暴落しても売らずに持ち続ける」という選択。
自分のリスク許容度、家族の状況、
当時の生活費、精神的な余裕——
すべてを考えると、
「自分には絶対できなかった選択だ」
と気づくはずだ。
「1点全ぶっこみ」幻想の危険性
夢を見ることは悪くない。
しかし、「あの時、億万長者になれた」
という幻想を持ち続けることには、危険がある。
それは——
「1点全ぶっこみ・ドカンで人生勝ち組」
という思考回路を、自分の中に
育ててしまうかもしれないからだ。
宝くじを毎週買い続ける人、
パチンコで「あと少しで当たる」と思い続ける人
——これらと、本質的には同じ心理構造だ。
「次こそキオクシアのような銘柄を見つけてやる」
という焦りは、冷静な判断力を蝕む。
そして焦った投資判断が、
資産を守るどころか、
大きく棄損させる原因になる。
平常心こそが、壊れにくい資産形成の土台
8がけ社会に向かう今、
私たちに必要なのは「一発逆転」ではない。
「壊れにくい資産形成」だ。
- 値動きの荒い銘柄への一点集中ではなく、
分散投資
- 「儲けそこなった」という後悔ではなく、
「自分のペースで着実に」という信念
- 競馬場のような熱狂ではなく、長期的な視点
こういった心のざわめきは、人間の性(さが)だ。
「あの時買っていれば」という感情は、
完全には消えない。
しかし、それを「自分には縁のない話だった」
と整理する習慣が、平常心を保ち、
壊れにくい資産形成につながる。
「儲けそこなった」より「壊れなかった」
投資の世界では、「大きく勝った人」より
「大きく負けなかった人」が、
長期的に豊かになる。
「儲けそこなった」と嘆くより
「自分は壊れなかった」と胸を張る。
それが、8がけ社会を生き抜く投資家の
マインドではないだろうか。
今回はインフレについて考えてみよう。
15年前、3000万円だったマンションが、
同じ場所、同じ間取りで今販売されると
5000万円を超える場合が多い。
なぜ、2000万円も上がるのだろう?
建材が高くなった。人件費が上がった。
それもあるが、
自分は売りたくないの積み上げと分析する。
"売りたくない指数“と命名してみる。
価格が上がる背景には、サプライチェーン全体に
広がる「売りたくない」という感情がある。
- 地主は「土地を安く売りたくない」
- ゼネコンは「工事を安く請けたくない」
- 建材メーカーは「材料を安く納入したくない」
- デベロッパーは
「マンションを安く販売したくない」
この「売りたくない」が、
需要に対する供給制限を背景に
川上から川下まで積み重なっていく。
そして最終的に、
エンドユーザーには2000万円増の
価格で販売される。
他を見渡してもそれ以下で売っていないので
エンドユーザーは
「これからもっと上がるかもしれないし、
それで今買うしかない」という判断を下す。
今の市場は、完全に売り手優位だ。
インフレ、人材不足、資材高騰
安くすると、ニーズが高まり、
生産が追いつかなくなるから
売りたくないを価格で提示する。
今は「売りたくない」が強まっている。
では、慢性的な人手不足の未来に向けて
価格はずっと上がり続けるのか?
そうとは限らない。
経済の原則はシンプルだ。
高くて買い手が減れば、
「値段を下げて売るしかない」
に天秤⚖️は傾く。
これが需給バランスだ。
**潮目が変わる兆し**
再開発に沸く東京でも、変化の兆しが出てきた。
・帝国ホテル建替計画の延期
・グランドプリンスホテル新高輪
の再開発スケジュール見直し
これらは、単なるプロジェクトの遅延ではない。
オフィス賃料が上がり続ける東京でも、
今の建設費では不動産の収益が割に合わない
と判断され始めている。
発注者たちが、
「その高額な価格では買いません。」と言い始めた。
この動きが連鎖すると、
"売りたくない"の潮目が変わる。
ゼネコンは売り上げ確保のために、
競合との安値受注合戦に戻り、
往年の発注者優位側に天秤が
再び傾くかもしれない。
ただし、従来と違う一つ重要な点がある。
生産力は戻らない。
8がけ社会では、大工も職人も減り続けている。
建設費が大きく下がることはない。
「売りたくない」を価格で示すのは、
ビジネスの論理としては正しい。
しかし、
その重みを、私たちは考えているだろうか?
その価格が社会全体の負担になるとき、
それは倫理の問題に関わる。
潮目は必ず変わる。
そのとき、横柄な真似をしていた者は淘汰され、
誠実に価値を提供し続けた者が生き残る
願わくば
そういった未来であってほしい。