2026年8月22日土曜日

氷河期世代は損をしたのか

 

モラリストは就職氷河期世代だ。


自分が卒業したのは2003年。

就職氷河期の真っただ中だ。


「自分は就職できるのだろうか。」

そんな不安が、常にどこかにあった。


「公務員か、大企業か」

という時代


当時は、公務員が最強の勝ち筋。大企業、

いわゆるJTCに入ることが正解。


そんなヒエラルキーが、

はっきりと存在していた。


今振り返ると、

社会が自信を失っていたのだと思う。


バブルは崩壊し、

日本経済は長い低迷期に入っていた。


「この先、日本はもっと悪くなるのではないか」

そんな空気が社会全体に漂っていた。


だからこそ、「安定していること」が、

何よりも価値を持っていた。


リスクを取ることよりも、

「沈まない船に乗ること」

重要だった時代だ。


損をした世代だった。

それは事実だと思う。


氷河期世代が不遇だったことは、否定できない。

就職できなかった。

正社員になれなかった。

非正規雇用になった。


一度レールから外れると、

戻ることが難しい時代でもあった。


「社会は冷たい。」

そう感じた人はたくさんいた。


しかし、

本当に「すべてが不遇」だったのだろうか。


氷河期世代は何も得なかったのだろうか。

少し違う角度から考えてみたい。


①先輩がたくさんいた


モラリストが入社した頃、

バブル世代以上のヒトが職場にたくさんいた。


メールはあったが、

仕事を覚える基本は

「人から教えてもらうこと」だった。


隣の席の先輩に聞く。

現場で教えてもらう。

先輩の仕事ぶりを見て覚える。

飲み会で仕事の話を聞く。


今思えば、アナログな時代だった。


しかしその分、人から人へ、

仕事の経験が伝承されていた。


氷河期世代は、上の世代から

大量の経験を吸収することができた。


②目いっぱい、仕事ができた


当時は、今ほど残業時間に厳しくなかった。

仕事が終わるまで働く。


与えられた仕事をこなす。

「もっとできるようになりたい」と思えば、

自分の時間を仕事に投入することもできた。

これは、「経験の貯金」だ。


若い頃に積んだ経験は、

あとから簡単には買えない。

20代で積んだ「量」は、

30代・40代になってから、静かに効いてくる。



③「せっかく入社できた」


これは今の若い世代には、

なかなか理解しにくい感覚かもしれない。


何十社も受けて、落ちて、また受けて、

ようやく内定をもらう。


だからこそ、「せっかく入れてもらった会社で、

一生懸命やろう。」という気持ちが強かった。


もちろん、これは良い面だけではない。

ブラックな環境でも我慢してしまう。

転職することをためらう。

そんな弊害もある。


しかし一方で、

「与えられた環境で、まず頑張ってみる」

という粘り強さを身につけた人も

多かったのではないか。



④情報が少なかったからこそ、

 目の前の仕事に集中できた


今の若者の方が大変だと思うことは

圧倒的に情報が多いことだ。


SNSを開けば、

「この会社は年収○○万円」

「転職して年収が○○万上がった」

「20代で資産○億円」

「この仕事は将来なくなる」


そんな情報が次々と流れてくる。

「もっといい場所があるのではないか」

という感覚も生まれやすい。


氷河期世代は、目の前にある仕事を、

他に良い条件の会社もなく、

ある種、就職した会社で一所懸命であった。


それが結果的に、

氷河期世代の強さになった部分もある。



⑤同期9人、23年間誰一人

 辞めていない


モラリストの勤める会社では

同期入社は約100人。

同じ職種で入社した同期は9人。


驚くことに、23年経った今も、

9人全員が誰も辞めていない。


9人という人数は、ちょうどいい。

多すぎない。少なすぎない。

互いに交流が続き、

お互いの仕事も、人生も、

なんとなく分かっている。


「失われた世代」という

 物語を書き換える

就職の機会を奪われた人がいる。

非正規雇用に固定された人がいる。

人生の選択に影響を受けた人もいる。


「氷河期世代は大変だった」という物語を

否定するつもりはない。


「だから私たちは、何も得なかった。」

とまで言ってしまうのは、少し違う。



就職氷河期世代は、

人口が増える時代から

減る時代へ


終身雇用から転職社会へ、

アナログからデジタルへ

その転換点を生きている。

これからは、

「人が足りない社会」を生きることになる。


氷河期世代は、

まだ人生の途中にいる


「失われた世代」という名前を、

そろそろ自分たちで

書き換えてもいいのではないか。


激しい変化の入口に立たされ、

そこで生き残る方法を身につけた世代。


これから始まる「8がけ社会」で

年金だけで逃げ切れる世代では

ないことも理解している。


社会に関わり続けることを、

強みに変えられる世代ということだ。


若い頃は、「ヒトが余る社会」で

椅子を奪い合った。


これからは「ヒトが足りない社会」で

椅子を守り抜く番だ。


氷河期世代の本番はこれから始まる








 

2026年8月15日土曜日

能力より『希少性』

 ──年収を決める本当の理由


秋の気配を感じると、食卓に上るのがサンマだ。


サンマはその年の「水揚げ量」によって、

価格が乱高下する。


<豊漁の年>

サンマは脂が乗り、丸々と太って質が良い。

にもかかわらず、スーパーでは

一匹100円程度で並ぶ。

まさに「庶民の味方」だ。

私たちは、安くて最高の質のものを享受できる。


<不漁の年>

身は痩せ、脂の乗りもイマイチ。

それなのに、値段は一匹300円、

時にはそれ以上になる。


ここに、ひとつの「不都合な真実」がある。


「質が良いから高い」わけではなく、

「質が悪いから安い」わけでもない。


サンマの価格を決めているのは、

味の良し悪し(本質的な質)ではなく、

単なる「需給バランス」なのだ。


この単純明快な法則を、

私たちは魚市場では理解している。


これはモノやサービスが高騰している

社会でも同じことだ。


 住宅市場にみる「サンマ現象」


例えば、住宅市場。


今、都心の新築マンションの価格を見れば、

10年前と比較して、驚くほど高騰している。


では、そのマンションの「質」は

10年前より上がっているだろうか?


現実は逆だ。

建築資材の高騰や人手不足の影響で、

専有面積は狭くなり(いわゆる“スリム化”)、

立地も以前なら見送られたような

不便な場所であることも珍しくない。


「狭くて不便」という、

サンマで言えば「痩せている」状態なのに、

供給数が少ない(希少性が高い)とい

理由だけで、価格は跳ね上がっている。


買い手は、

「質」にお金を払っているのではない。

「そこにしかない(数が少ない)」

 という状態でいま欲しいから

 お金を払っているのだ。



給料が上がらない、本当の理由


そして、この法則は、

私たちの「年収」にも適用される。


「経験を積んだベテランで、

 仕事がメチャできるヒト」

「資格をいくつも持ち、専門知識が豊富なヒト」


あなたの周りにも、

こうした「質の高い人材」なのに、

給料が全然上がらないと不満を持っているヒトは

いないだろうか?

あるいは、あなた自身がそうかもしれない。


モラリスト的な視点で分析すれば、

その理由は明白だ。


その業界において、

あなた(またはその職種)に「希少性」が

ないからだ。


どれほど能力が高かろうが、

その仕事をできるヒトの供給が十分であれば、

サンマの豊漁時と同じで、

価格(給料)は上がらない。

本人の能力や努力と、市場価格は、

連動しないのだ。



建設業の「未熟な若手」でも

年収700万稼ぐワケ


一方、モラリストが従事する

建設業の現状はどうだろう。


慢性的なヒト不足。施工管理も作業員も、

恐ろしいほどに足りていない。

業界全体が、深刻な「不漁」の状態だ。


そうなると、どうなるか。


入社3年目、

経験も知識もまだまだ未熟な若手であっても、

年収700万以上の待遇を得ているコが

ゴロゴロいる。


彼らの能力が、他業界の3年目のコより倍近く

高いわけではない。

ただ、「建設業という、ヒトの希少性が

高い市場に身を置いている」という、

その一点において、

高い価格(給料)がついているのだ。



資格取得よりも、

 「どこに立つか」


本気で年収アップを考えるなら、

この視点は不可欠だ。


多くのヒトは、自分の「質」を高めようとする。

難関資格の取得に励み、

スキルアップのセミナーに通う。

もちろん、それは素晴らしい努力だし、

人間としての成長にはつながる。


しかし、「市場価格(年収)」を

上げることが目的なら、

それは効率的な戦略とは言えない場合がある。


いくら「質の良いサンマ」になろうと努力しても、

市場がサンマであふれていれば、

価格は300円にはならない。


資格を取る前に、今の自分のスキルの磨く前に、

考えるべきことがある。


「自分が今いる業界、目指す職種は、

 人材の需給バランスはどうなっているか?」

「そこに、自分という存在の希少性は残るか?」


「何をできるか(能力)」よりも、

「どこに立つか(業界・環境)」の方が、

 年収への影響力ははるかに大きい。



マクロ視点で考える、

「最後に残る希少性」


もっとマクロな視点に立ってみよう。


今後、AI(人工知能)やテクノロジーが進化し、

多くの「能力」や「スキル」が

コモディティ化(一般的化)していく。

人間が努力して身につけた「質」の希少性は、

ますます失われていくだろう。


では、そんな時代に、

最後まで「希少性」が残り続けるものは

何だろうか。


思いつくのは、物理的な制約があるもの、

そして再現不可能なものだ。


**東京など大都市の一等地と言われる土地**

**歴史的価値と制約が守られた、京都の不動産**

**人工物では代替できない、圧倒的な自然の景観**


これらは、どれほどテクノロジーが進化しようが、

増やすことも、他所に作ることもできない。

まさに「不漁のサンマ」の状態が

永遠に続く場所だ。


<モラリストの結論>


私たちは、サンマの値段を見て

需給の現実を知っている。


それならば、自分の人生の戦略においても

その現実を直視すべきではないだろうか。


「社会が今、何を切実に求めているか」


その欠落した部分に、自分の身を置くこと。


これは冷たい打算ではない。


「社会の不を減らす場所に立つこと」でもある。


人手不足の建設業で働くことは、

社会インフラを支えることだ。


希少性のある場所に立つことは、

社会が最も必要としている場所に

立つことでもある。


「どこに立つか」は、年収の問題であると同時に、

「社会への貢献の問題」でもある。


8がけ社会では、その二つが重なる場所が、

最も豊かに生きられる場所となりうる。


 



2026年8月8日土曜日

転職しなかった理由

 

−会社ではなく

 その組織を選択−


23年間、一度も転職しなかった。

その話をすると、こう聞かれる。

「その仕事が向いていたんですね」

「転職する勇気がなかったんですか?」


どちらもちょっと違う。


自分が一つの組織に残り続けた

理由はもっとシンプルだ。


その組織が、最もリターンの

良い選択と思え続けたからである。



就職氷河期世代の選択


自分は就職氷河期世代だ。

同年代には、非正規雇用を選ばざるを

得なかった人もたくさんいた。


転職市場も今ほど活発ではなかった。


しかし、上記の理由だけで

「一社に勤め続けた」のではない。


理由は以下だ。


①大きな組織は

「人材の図書館」である


大企業に所属する価値は、

建物でもブランドでもないと思っている。

**人的リソースの充実だ**

法務の専門家。

技術者。

営業。

財務。

品質管理。

安全管理。


それぞれが長い経験を積んだ

優秀なプロフェッショナルが

各部門に配置されている。


分からないことがあれば、

組織内の誰かが答えを持っている。


私はこの環境を、

人材の図書館」だと思っている。


本を読むように、人から学べる。

これは、大きな組織ならではの財産だ。


②見えない資産が

 静かに積み上がる


2つ目の理由は社会的信用だ。

長く同じ組織で働く人は、

* 銀行から信用される。

* 取引先からも信用される。

これらは履歴書にはあまり書かれないが

最大の無形資産と言える。


他の組織が個人を評価する場合、

「どこで、どれだけ働き続けているか」

を評価対象とする場合が多いのだ。


信用とは、一日で得られるものではない。

時間という複利で増えていく資産だ。


③ 管理職になって見えた景色


最後に挙げる理由は

若いうちは、自分の仕事しか見えない。

「この仕事は向いていない。」

「部署を変わりたい。」

自分もそんなことを何度か思った。


しかし、管理職になって見えた景色もある。

組織は、一人の力では動かない。

売上も、利益も、人材育成も、

多くの人の力を束ねて初めて成果になる。


担当者だった頃には見えなかった世界だった。

もし20代であっさり辞めていたら、

この景色は知らなかったかもしれない。


転職を否定しない

もちろん、転職が正解になることもある。

価値観が合わない。

成長できない。

健康を損なう。

そんな環境なら、離れる検討や行動も必要だ。


私が伝えたいのは、

「転職するな」ではない。

一社に残ることも、転職もどちらも戦略である。


感情だけで決めるのではなく、

今の給料で決めるのでもなく

5/10年先に

自分にとって意味があるのかを考えてみる。


8がけ社会では、

「壊れにくい組織」が

価値になる


人口が減る。

働き手も減る。

企業の廃業も増える。


そんな時代は

組織を見る視点も変わるはずだ。


組織内に大企業のような

優秀な人材がたくさんいなくても、

AIが補ってくれることで

個人が大きな組織同様の

アウトプットができる未来がやってくる。


となると、

選ぶ基準は以下のようになる。

その組織が

・10年後、20年後も社会に

 必要とされる存在なのか。

・新しい事業を生み出せるのか。

・人を育て続けられるのか。


自分はたまたま

フラットに天秤⚖️にかけて

23年間残留しただけだ。


しかし今後の自分を取り巻く変化は

いままでより大きい。

・AIで個人の生産性が劇的に向上する

・コドモがあと数年で独立

・金融資本が充実してきている


就職氷河期の時のように

会社から選ばれるのではなく、

今後は自分自身が

組織を選択する番だと考えている。


需給バランスで翻弄された

就職氷河期世代のささやかな逆襲

なのかもしれない。











2026年8月1日土曜日

店じまいの作法


−廃業は開業より難しい−


事業を始めることより、畳むことの方が難しい。


開業は「ゼロから作る」行為だ。

しかし廃業は「積み上げてきたものを、

周りに迷惑をかけずに解体する」行為だ。


後者の方が、はるかに高度な技術と、

人間としての誠実さを要求される。



「夜逃げ的倒産」が残すもの


突然の廃業、夜逃げ的な倒産は、

取引先に連鎖倒産の危機をもたらす。


長年世話になった仕入れ先、外注先、

銀行、そして従業員


彼らへの影響を考えずに店を畳むことは、

ビジネスの失敗以上の「人としての失格」

とも言える。


お金の向こうに人がいる。


事業の向こうにも、

生活を預けてくれた人たちがいる。


廃業は、その人たちへの最後の責任の取り方だ。



ソフトランディングの条件


では、どうすれば誠実に店を畳めるのか。


答えは一つだ。


早く動き出すことだ。

・取引先が新たなサプライヤーを

 見つけるまでの時間

・従業員が次の職場を探す時間

・銀行との清算を整理する時間

 ——これらすべてに、時間がかかる。


終活と同じだ。


体力と判断力があるうちに動き出さなければ、

ソフトランディングは難しい。


経営者が「もう限界だ」と気づいたときには、

すでに手遅れになっていることが多い。


だから廃業の決断は、

早すぎるくらいでちょうどいい。


廃業のハードルは規模に比例する


個人事業主の廃業と、中小企業の廃業では、

ハードルの高さがまるで違う。


個人事業主は、

極端に言えば「自分が決めれば終わり」だ。


しかし中小企業になると、話は複雑になる。


従業員の退職後の世話

長年働いてくれた社員が、

次の職場でも生きていけるよう、

できる限りの支援をする。退職金だけではなく、

再就職の紹介、スキルの証明

⇒これが経営者としての最後の仕事だ。


関係取引先への対応

長年の付き合いがある取引先に、

十分な準備期間を与える。

新たなサプライヤーの目処がつくまで、

事業を継続する覚悟が必要だ。


銀行との清算

融資残高の整理、保証債務の解消

——これが最も時間のかかる作業だ。

  銀行との関係は、廃業後も続くことがある。


日本の中小企業は、家族的な経営が多い。


取引先との関係も、

従業員との関係も、

家族に近い信頼で成り立っている。


だからこそ、

廃業は単なるビジネスの終了ではなく、

**「人間関係の総決算」**になる。


<新たな潮流>

外国人経営者への事業譲渡


最近、新しい選択肢が生まれている。

在留資格を得るために、

日本の事業をそのまま買い取る

中国人経営者の存在だ。


この選択肢を、私は否定しない。


後継者がいない中小企業にとって、

事業を続けてもらえるなら、

それは従業員にとっても

取引先にとっても悪い話ではない。


しかし、現実は厳しい。


パラシュートのように降りてきた

外国人経営者が、

日本の家族的な取引関係を

うまく引き継げるかどうか。


日本の中小企業の強みは、

数字に見えない「信頼の蓄積」にある。


長年の付き合いで培われた

阿吽の呼吸、暗黙の了解、人情

⇒これらは、

 引き継ぎ書に書けるものではない。


事業承継は、バトンを渡すことだ。


バトンを受け取る側が、

そのバトンの重さを

あらかじめ理解していなければならない。


8がけ社会における「店じまい」の意味


ここで少し視点を広げたい。

2040年、8がけ社会では、

多くの中小企業が「店じまい」を迫られる。


後継者不足、労働力不足、需要の縮小

⇒これらが重なり、

 廃業を選ばざるを得ない経営者が急増する。


しかし、廃業は「負け」ではない。


誠実に店を畳むことは、社会への最後の貢献だ。


取引先を守り、従業員を守り、

地域の信頼を守りながら幕を引く。


それは、開業と同じくらい、

いや、

それ以上に価値のある行為ではないだろうか。


「壊れにくい体質」を作ることと同様に、

「きれいに終われる体質」を作ることも

 経営者としての重要な仕事だ。


8がけ社会は多様な価値観が広がり、

衰退産業となる事業も多く発生する。


私は、この問題は経営者だけの話ではないと思う。

人口が減る社会では、店だけでなく、

学校、病院、自治会、公共施設など

あらゆる組織が「どう終えるか」を

考える時代になる。


「始め方」を学ぶ時代から「終え方」を学ぶ時代へ

店じまいの作法とは

8がけ社会における社会全体の作法でもある


引き際を悟り、

「社会的な役割を一定程度、果たしたので、

 きれいな幕引きこそ最後の仕事」

まっとうできた経営者こそ

評価されるべきだ。

 







 


2026年7月29日水曜日

それでも前を向く【特別編】


令和8年熊本地震。

ニュースを見るたびに、心が痛む。


我々の当たり前の日常は損なわれやすい。

地震一つで、積み上げてきたものが崩れる。


被災した人がいる。

自分は今日も普通に生きている。

その非対称が、罪悪感に似た感情が湧く。


でも、立ち止まらないことを選ぶ。


自分は普段通りに経済を回すことが、

巡り巡って被災地を支える。

ゼネコンで積み上げてきた知見や仕事が、

誰かの役に立つ日が来る。


知ることも、発信することも、備えることも——

全部、誰かのためになると信じて動く。


嘆く時間より、考える時間を。

悲しむ心は持ちながら、

それでも前を向く。


防災・減災。

もっと深く、もっと広く