生成AIが一気に普及すると、
これまでホワイトカラーが
担ってきたデスクワークは、
大きく置き換わっていくと言われている。
・経理/法律/データ入力
・監視カメラのモニタリング
・病気の画像診断
こうした
「判断パターン(定型)
がある程度決まっている仕事」
から、順番にAIへ移っていくだろう。
そうなると当然、
「じゃあ、その仕事をしていた人たちは
何をするのか?」
という不安が出てくる。
今ある仕事の中で、当面なくならないのは
おそらく次のような領域だ。
・一次産業(農業/漁業/林業)
・エッセンシャルワーカー(医療/介護/教育)
・インフラの維持・管理(電気/ガス/水道)
社会を維持していくうえで必須な仕事は、
形は変わっても「ゼロにはならない」。
むしろ人手不足も相まって、
ここに人が流れていく「リバランス」は、
社会全体としては健全な動きだ。
ただし、仕事内容は大きく変わる。
リスキリング(学び直し)は
避けて通れない。
デスクワークにしがみつくか、舵を切るか
AIが本格導入されるギリギリのタイミングまで、
今のデスクワークにしがみつくのか。
それとも、少しでも若いうちに
方向転換しておくのか。
個人的には、後者をおすすめしたい。
50代で「デスクワークだけ」の
経験しかない人材の市場価値は、
これから徐々に微妙になっていくだろう。
「社会課題」はメシのタネ
とはいえ、新しい仕事も必ず生まれてくる。
・ランサムウェア対策
・熊を寄せ付けない里山づくり
・ヒートアイランド対策
こうしたテーマはすべて「社会課題」だ。
社会問課題こそ、メシのタネ になる。
世界全体を見れば、
ヒトがひとつ課題を解決しているあいだにも、
その何百倍もの
新たな課題が次々と生まれている。
そこにヒトのリソースを振り向け、
みんなが生成AIを
自分の拡張ツールとして使いこなせる。
そんなモデルが、次の時代の標準形だ。
ただ、全員がそうなれるわけではない。
おそらく1〜2割にとどまるだろう。
これから求められる「個人の資質」
どの分野でも重宝されるのは、こんな人だ。
・新しい人間関係・協力関係を自分からつくれる
・社会課題の解決をゴールに、行動を起こせる
「いままでと同じやり方で、
同じものをつくり続ける」は、NGだ。
衰退産業を延命させて守り続けてきた結果が、
いまの日本の長い停滞に
つながっている側面もある。
AIに任せるところは、気持ちよく任せる
AIに任せられるところは、どんどん任せる。
そのぶん、ヒトはもっと工夫して、
社会を良くする仕事 に頭と時間を使う。
「絶対になくならない仕事」とは、
社会課題に向き合い、
他者と協力しながら解決へ動いていく仕事だ。
AIに仕事を奪われるかどうか、ではなく、
AIと一緒に「何を良くしていくのか」。
そろそろ、そこに意識を切り替える
タイミングにきている。
今年のノーベル経済学賞を受賞した
研究内容は学ぶものが多い。
ひと言でいえば
「イノベーションが長期的な成長をどう生み出し、
どう止まってしまうのか」
を解き明かした研究に与えられた。
アギオン=ハウィットの成長モデルでは、
・新しい企業・技術が出てくる
・古い企業・技術が市場から退出する
・その「入れ替わり(創造的破壊)」が
生産性と所得を押し上げる
というメカニズムが成長のエンジンだ。
日本に落とし込みをすると、、
「失われた30年」では、
ゾンビ企業が業界に居座ることで、
本来伸びるべき健全な企業の投資や雇用が
抑え込まれ、生産性の伸びが低下した
といった構図が、
多くの実証研究で指摘されている。
成長は単なる発明の数ではなく、
「新しい知を積み上げ、
応用し続けることを良しとする文化」と、
それを支える制度
がそろってはじめて持続的になる。
つまり、予算を増やせばOKではなく、
・学問・研究の自由
・異分野・異業種の人材の行き来
・失敗してもやり直せる起業・転職環境
こうした文化・制度面の整備がセットでないと、
カネを投じても成長につながりにくい。
また人口が減る局面ほど、
イノベーションの重要性は増す
「いまは衣食住が満たされているから、
成長などを求めず、
人間らしい昔ながらの生活で
みんなで静かに暮らていこう」
という発想は、停滞の温床となり、
人口減少局面での悪手である。
良くも悪くも我々は資本主義経済
の中で生きている。
成長は人々の工夫の総和である。
人口減少時代こそ、環境への配慮をしつつ、
一人あたりの生産性を上げる
イノベーションの成長戦略こそが
唯一の選択肢と言える。
停滞することは減退すると同じことだ。
”失われた30年”で
日本は代償を払いながら大いに学習した。
だれもがスマホを
手放せなくなったように
進化への変化や経済成長を否定せず、
しなやかに対応していくことが
個人として大切である。
月並み言葉だが、大切なのは
「変化を肯定する」ことである。
<関連ブログ>
・成長の再定義
・社会の間伐
・8がけ社会
今月、金利が0.25%上がる可能性がある。
そう聞くと、
住宅ローンを検討しているヒトの心は、
けっこう揺さぶられるだろう。
「固定で借りたほうが
トータル得なんじゃないか、、」
「販売価格も高いのにこんな金利で
つかんで大丈夫か、、」
ニュースと不動産サイトを
行ったり来たりしながら、
心がじわじわ消耗していく。
0.25%という数字は小さく見えて、
35年ローンの世界では
それなりのインパクトになる。
月々の返済はじわっと増えるし、
総返済額で見れば、
それなりの“ため息レベル”の差になる。
ただ、一度深呼吸をしてみよう。
住宅ローンは
「今月と来月の金利」の勝負ではなく、
「これから20~35年、自分がどう生きるか」
の話だ。
もし、金利が上がる要素以外に
・今後の所得の見込み
・子どもの教育費
・転勤や転職の可能性
・親の介護や、自身の健康リスク
こういった“自分の足元の条件”が
ぐらぐらしているなら、
「とりあえず買う」は、
本末転倒になりかねない。
再考の余地がある。
逆に言えば、
・この街に腰を落ち着ける
・多少の金利上昇があっても家計はまわる
・「この家」という気持ちが強い
このあたりが自分の中で
ストンと落ちているなら、
金利はクリティカルな要素ではなく、
あとは情熱や意志の問題だ。
今後も金利は、
こちらの都合とは関係なく変動する。
唯一コントロールできるのは、
「自分にとって意味があるか」
というラインだけだ。
「いま逃したら損をするかもしれない」
という焦りだけが後押しする動機なら
ちょっと引いて検討したほうがいい。
金利は判断材料ではあっても、
“主役”ではない。
主役は、自分と家族の暮らし方だ。
「10年後の自分がこの家をどう振り返るか」
を想像しながら決めるのが、
いちばん後悔の少ないやり方と思える。🤔