2026年4月4日土曜日

値段(価格)と価値(効用)の違い

 

前回のブログ

椅子を奪い合うか、椅子を守り抜くか」の中で、

値段と価値の違いに触れた。

今回はここをもう少し深掘りしてみたい。


田内学氏の著書『お金の向こうに人がいる』では、

本質的な問いが投げかけられている。

「日本のお金全体は増えていない。

  富は移動しているだけだ」と。


お金は、主に3つの財布の間を

移動しているに過ぎない。

① 個人の財布

② 企業の財布

③ 国の財布


「国の借金が膨大だ」というニュースが流れるが、

誰かの借金は、必ず別の誰かに払ったから

借金になっている。利子も誰かに払っている。

国が借金を増やした分、

私たちの銀行口座の数字(資産)も増えている。

具体的には

①国の借金(国債): 約1,200〜1,300兆円

②家計の貯蓄(個人): 約2,100兆円

③企業の内部留保: 約1,300兆円


数字が移動しているだけで、

実態としての「富」が

消えてなくなったわけではない。


1 「日経平均5万円」の正体

鋭い方はこう指摘するだろう。

「日経平均が5万円を超え、

世界の時価総額は増え続けている。

富は増えているじゃないか」と


ここに、「値段(価格)」と「価値(効用)」

の決定的な違いがある。


17世紀、オランダの「チューリップ・バブル」

を例にすると、

縞模様の入った珍しい球根一つに、

家一軒分の値段がついた。

生産以上に「欲しい人」が増え、

聞きつけた投機家たちもどんどん群がり、

価格は上昇していった。

上昇相場の中にいる時、

全員が「自分は儲かっている」と確信している。

最後に取引された「価格」こそが、

自分の資産価値だと信じ込んでいた。

しかし、いずれ価格は崩壊し、

人々は球根1つと家一軒分は

過剰すぎるバブルだったと振り返った。


こうしていままで幾度となく、

バブルが繰り返されてきた。


「〇〇バブルがはじけて、多くの富が失われた」

と表現されるが、正確には富は失われていない。

共同幻想的な妄想がなくなっただけである。


オルカンやタワマンも

いまの価格以上で将来売れると信じているが、

共同幻想がなくなった段階で、価格は崩壊する。

これが「値段(価格)」の正体である。

ただし、その価値は失われていないのだ。


2. ガソリンの価値は変わらない

もうひとつ、具体例を挙げよう。

ガソリンの「価値(効用)」は、

リッター140円の時も180円の時も変わらない。

車を〇km/L走らせるという価値は一定だ。

しかし、

中東情勢という「外部の変数」によって、

その値段が上下している。


これが値段と価値の違いだ。


私たちは新NISAなど、

ネット証券のマイページで

眺めている「評価額」という数字。

これも「価格」に過ぎない。


政府お墨付きを御旗にして、

新NISAに投資している我々も

利回りだけで見て、運用先を決め、

売却時に価格(値段)が上がっていることを

期待する行為である。


チューリップの球根1つを

家一軒と交換した人々は、

最後に何を見たのだろうか。


私たちは、画面上の数字だけではなく、

そのものの本質「モノの価値(効用)」

という実態を見失ってはならない。