最近、生成AIの本📕を読んだり、
テレビ📺を観る機会があった。
自分なりに生成AIを咀嚼してみた。
書籍では
企業や行政・金融・医療・教育が
どう変わっていくか
実例を挙げて紹介している。
日本では、単純作業が
AIに取って代わられるという
認識が広がっているが、
むしろ知的労働者の方が
影響を大きく受けると警告する。
テレビでは
医療分野🩺での活用事例を挙げて
過去の膨大な症例画像から
画像診断での病気を判断したり、
症例の少ない難病などの診断について
ドクターのスキルを拡張させ、
地域医療の差を縮める効果も
期待ができると紹介していた。
どちらも警告していたのは
AIは間違いやハルシネーション(幻覚🦋)を
区別できていないということだ。
さて、ここからが私見だか、
よくAIが仕事を奪うなど
世間では言われているが、
一番心配なのは
”人間のアイデンティティの危機”だ。
AIにより、自分の社会での必要性
を見失ったヒトはどうなるだろうか?
人生において
生まれた時👶から秘書👩💼のような存在がいて、
苦楽を伴った自己決定する機会を奪われれば、
自分の存在意義を見出すことは難しい。
生への執着も希薄になりかねない。
ただ、
人間そのもののチカラ💪を問われる
出来事は未来にも起こりうる。
30年後の世界の大きな問題は
間違いなく気候変動🌏だろう。
南海トラフ⛑️やスーパー台風🌀、
未知の疫病😷🏥など、
日常を奪われるような体験に
見舞われることはあるハズだ。
そういった生命が脅かされる状況では
5感を持たず、生命体ではないAIは
助け合えるパートナーになりえない。
人間同士が協力し合って
生き抜くことが大切だ。
そういった強烈な体験では
心身のバランス😵💫も崩してしまうこともある。
そんな時、他者との交流や共感が
なによりも癒しになるはずだ。
となると
AIは最良の伴侶ではなく、
自分の可能性を
より拡張してくれる支援ツール
という位置付けで捉えるべきだ。
有機生命体として、有限な命を
持つ自分に対し、
AIは不老不死であれば
生きる価値を共有できない。