厳しい未来が来ることが
分かっているのに
避けられないのはなぜか?🤔
〇人口減少(少子化)
⇒日本は2040年には2割の労働人口が減る
いまと同じサービスや
公共インフラは維持できなくなる。
〇気候変動
⇒1.5度以内の温暖化を食い止めず、
猛暑日はいまの1.8倍になる見通し。
〇南海トラフ
⇒あと10年で政府想定32万人の死者と
予想される巨大地震は
80%の確率とされる
〇生活習慣病
⇒入院患者の約70%は
糖質過多や運動不足による
生活習慣病が起因で入院をしている。
ヒトは日々の生活のことばかり🤪
考えることに明け暮れ、
先の未来まで考えられないのか?
ステレオタイプの情報を
取り去らい、深掘りして考えてみる。
<人口減少(少子化)>
過去のヒト(先祖)はお墓や
遺影があるのでイメージしやすい。
しかし、まだ見ぬ未来は
存在を示す記号がないので、
抽象的でイメージしにくい。
<気候変動>
テーマが大きく、個人の問題
として捉えにくい。
高齢者からすれば、
ほぼ死後の話だし、
異常気象や大規模災害など、
身近に感じることもあるが、
いま生活できているので
他人事感が強い。
<南海トラフ>
10年後か30年後か
分からない脅威について
普段の行動を制限するのは難しい。
住宅を耐震化したり、被害想定の
少ない地域に移住したりするには
大きな労力とコストがかかる。
つまり
「現状、痛みを伴っていない。」
こういった原因が根本にありそうだ。
これは賢くないというよりも
人間の性質と捉えた方が良い。
”減災”につながる行動した方が良い
とアタマでは理解できる。
しかし、意思決定は
常に合理的な理性で
判断されるのではなく、
平時は不合理要因(感情)が勝り、
現状維持を優先してしまう。
日本人の性質として、
大規模災害時、
周りのヒトへの利他は
世界から賞賛されるような
行動ができるが、
気候変動で影響を受ける未来の他者
など、目に見えない対象に対しては
欧米人以上に関心が薄い。🫤
大切なのは解像度を高めて
【自分ならどうしよう?と考えること】
言葉だけの”標語”として片づけずに
自分がその場にいたら
どんな行動を取るか
奥行きをもって、その先を考えてみる。
そうすると、、
”平時に準備をしておけば良かった😩”
”行政や自衛隊は機能麻痺してて
頼りにできなさそうだ、、😮💨”
などと、自分なりの考えを
思い浮かべることができる。
そして、
その思いを行動につなげること。
平時のいまを大切にし、
できる準備を進めていけば
先々の減災はできるハズだ。🤨