──ブラックボックス化する世界と
「個人のレジリエンス」
9月1日は「防災の日」だ。
しかし今年の防災の日に、
私が考えたいのは備蓄の量でも避難経路でもない。
もっと根本的な問いである
「私たちは今、どれだけ自分で考え、
判断できているのか。」
便利さと引き換えに失った
「中身のわかる世界」
ふと見回すと、私たちの身の回りには
「目に見えないもの」「仕組みが分からないもの」
が溢れている。
かつて、家電や機械は壊れても裏蓋を開ければ
仕組みがなんとなく分かった。
簡単な修理なら自分でできた。
しかし現代の製品は
高度にブラックボックス化し、
不具合が起きれば専門業者に依存するしかない。
そして今、
そのブラックボックス化の最高峰として
私たちの生活に深く根を下ろしているのが
——**AI(人工知能)**だ。
手のひらのスマホを開けば、
AIが次の行動を提案し、文章を整え、
最適なルートを指示してくれる。
私たちは思考のコストを削減し、
圧倒的な利便性を享受している。
しかし、ここで一つの問いを投げかけたい。
「仕組みも分からない巨大なブラックボックスに、
私たちは自分の生活や判断を
どこまで委ねていいのだろうか?」
社会の脆弱性と「生命力の低下」
社会全体がAIやデジタルインフラに
過度に依存した構造は、極めて脆弱だ。
万が一、大規模なサイバー攻撃や
未曾有の自然災害によって電源喪失が起きれば、
社会機能は一瞬で麻痺する。
どれほど優秀なAIであっても、
電気という一次インフラが絶たれれば、
ただの無機質な箱に過ぎない。
災害時に私たちが真に確保すべきなのは
「高度なアルゴリズム」ではなく、
命を繋ぐ「水」と「電源」だ。
しかし問題は社会構造だけにとどまらない。
個人レベルの「人間性」や「生命力」にも
及んでいる。
何でもAIやスマホに頼り、自ら考えたり、
身体を動かす機会を放棄し続けると、
個人の生存力(レジリエンス)は衰退していく。
思考や判断を外部のブラックボックスに
丸投げした状態は、危機に瀕したとき、
あまりにも無力だ。
個人のレジリエンスを
高める2つの処方箋
非常時に大切な人を守るために、
私たちが今すぐ取り組むべきは
「個人のレジリエンス(立ち直る力・適応力)」
を高めることだ。
そのためには、
二つのアプローチが必要だと考える。
①物理的備蓄の確保
──インフラのバックアップ
スマホの画面上でどれだけ情報を持っていても、
水が出なければ生きられない。
水と非常用トイレの確保:
最低でも数日分の飲用水と衛生環境を保つ備蓄
アナログな手段の確保:
電源が落ちても機能するポータブルバッテリー、
手回しラジオ、アナログな地図
これらは「念のため」ではなく、
「必ず来る日のため」の準備だ。
インフラは必ず老朽化し、
必ず想定外の事態が起きる。
「まさか」は、いつか「やはり」になる。
②「デジタル断ち」による
自力の再構築
AIやスマホを使わない「自力」を鍛えること。
体力と直感力:
自分の足で歩き、
現場の状況変化を五感で察知する力
判断力と決断力:
検索結果やAIの提示に頼らず
「今、どう行動すべきか」を
自分の頭で考え抜く習慣
週末に一度、スマホもAIも一切使わずに
1日を過ごしてみることは有用だ。
自分がどれほど外部の端末に判断を
委ねていたかに気づくはずだ。
同時に、五感を使って考え、行動する感覚
——いわば「野生の生命力」が呼び覚まされる。
「個人が強くなること」が
「社会を強くすること」だ
個人のレジリエンスを高めることは、
単なる「自己防衛」や「打算」ではない。
自力で生き延びる力を持つ人間が増えれば、
その分だけ公的支援や救助の手を、
本当に助けを必要としている高齢者や子ども、
負傷者へと振り向けることがきる。
「個人が強くなること」は、
社会全体の「共助の力」を
高めることに直結している。
8がけ社会では、行政や専門機関の救助(公助)
に限界がある。
一人ひとりが
「自分の足で立ち、判断できる個」となり、
お互いを支え合うこと。
それこそが、縮小していく社会を生き抜く作法だ。
田内学さんの言葉を思い出す。
「お金の向こうに人がいる。」
同じように、災害の向こうにも、人がいる。
停電した街の向こうに、水が届かない家庭がある。
道路が寸断された集落の向こうに、
助けを待っている人がいる。
AIもスマホも使えない極限の状況で、
最後に頼れるのは——
自分の判断力と、隣にいる人間だ。
結び──今日という日に
目に見えない便利すぎるシステムに、
全幅の信頼を置くのはやめよう。
防災の日に、自宅の備蓄を点検するとともに、
自分自身の「生命力」と「判断力」の現在地を、
静かに見つめ直してみたい。
壊れにくい社会は、
壊れにくい個人の集まりから生まれる。
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