報道には言葉のレトリックが多い。
例えば、世界のどこかでテロがあり、
マスコミが大きく報道する。
◦日本の対策はどうなっているのか?
◦日本の対策は不十分!
などと、昼下がりの情報番組で
コメンテーターが発言したりするが、
世界中でテロで亡くなる人は交通事故死亡者の
1/300以下だ。
しかも多くが内戦地域だ。
数年前、日本でも
東海道新幹線車内での放火事件があって、
新幹線に警備員が同乗するようになったが
どれだけ多額のコストを講じているか?
新幹線で火を放った事件は
50年の歴史でわずか2件だ。
(うち1件は摸倣の未遂)
日本では、
「発生確率が低いので対策はしません。」
というのは、
許されない風潮があるので、
企業は対策を講じざるを得ないが、
その対策コストは、最終的に利用者負担となる。
優先順位のメリハリをつけなければ、
コストは無限大にかさむだろう。
他にも類例はある。
コドモを巻き込んだ交通死亡事故は、
近年大幅に減ったこともあり、
たまに発生すると、マスコミは大きく報道をする。
特に通学路で登下校中の災害になると、
文科省は、似たような箇所の
全国一斉の緊急点検を指示したりする。
上記の処置は無意味とは言わないが、
感情的な判断よりも
優先順位を冷静に考え、
まずは発生確率が高く、
重大な危険を取り除くことが大切ではないか?
(河川の氾濫を防ぐ減災対策など。)
そのためには「定量化=数える」が大切だ。
事故や災害が発生した場合に
対策を拡大して講じるか否かは
過去の同様な事故の発生回数をまとめ、
発生度合いとコストを鑑みて、
対策の是非を検討する。
そうしないと、
大学入試会場に、ペットボトルにガソリンを
詰めて放火しようとした人がいるので、
来年からは
・50万人の全ての受験生に対しX線調査
・ペットボトル持ち込み禁止
・全会場に警備員を配置
の対策が必要!
という極論的な思考になりかねない。
感情的な判断で動いていたら、
韓国のように、世論の後押しで国同士の約束を
反故にする体質と変わりがなくなってしまう。
マスコミに
「事実を定量化して、淡々と伝えヨ。」というのは
あまり期待できないが、
一般市民は、感情論ではなく、定量化された事実で
物事を正しく捉えることが大切だ
世界を正しく認識するには「数える」ことが大切。
「21世紀の啓蒙主義」を読んで学んだ発想だ。