2021年8月9日月曜日

社会に蔓延する自己責任論<特別編>

「健康は自己管理であり自己責任である。」
    と声高に言う人は、
 いままで、大きな病気をしていない人が多い。
 
 不摂生な生活を送っていても
 病気になっていなければ、
 自己管理に成功している人。
 
 逆説的には
 病気の人は、本人の努力が足りないから
 病気に至ったと言っているように聞こえる。
 
 そうではない。
 病気の人=困っている人だ。
 
 病気になる/ならないは確率論であり、
 自分も困っている人側になりうるという
 という視点が必要だ。
 
 そんな確率的に運の悪かった人のために、
 セーフティーネットや公的支援がある。
 
 自己責任論を声高に主張する人は
 社会的に恵まれた立場の人が多い。
 
 恵まれた環境は自分のチカラで
 勝ち取ったと自負があるかもしれないが、
 果たしてそう言い切れるだろうか?
 
 多くの場合、環境が整った土台の上で
 努力できたのだと思う。
 
 いい大学に行けたのは、進学に理解があり、
 お金を出してくれた親がいたからだ。

 高年収の者は、たまたま才能を認めてくれる
 社会に生まれたおかげで、良い待遇で
 雇用してくれる会社があるだけで、
 これらは自分の手柄とは言い難い。
 
 努力よりも、良い環境に恵まれたことが
 最大且つ根底にある要因で、
 それは運が良かったに違いない。
 
「非正規労働者になったのは自己責任」
「シングルマザーは離婚したんだから自己責任」

 こういった自己責任は、
 一見、合理的で正しそうに聞こえるが、
 弱い立場に置かれた人々を
 切り捨てる発想で
 一度社会で躓いたら、立ち直りづらい
 風潮を助長している。

 「自己責任」として、一蹴する前に
 その問題は、個人の問題か?社会の問題か?
 と考え、社会の問題であれば、
 支援に理解を示すことが大切だ。

 安易な自己責任論は、問題の本質を見誤り、
 生きづらい社会を助長する。

 コロナ渦で、困っている人は増えている。

 自助・共助・公助の精神を忘れてはならない。

★自助・共助・公助