~とある日のモラリスト家の会話~
モ:「最近、クラスはどう?
みんな元気に学校に来てるかい?」
子:「うん。休んでいるコはいないよ。
でも担任の吉岡先生、今日もユーマ君に怒ってた。」
モ:「(ユーマというのは授業中も席を立ってる
ちょっと問題のあるコだな、、)
ユーマ君はなにを怒られたのかい?」
子:「授業中、ふざけて先生に向かって、
”先生のケツ、プリプリして、たまんねーぜ”とか
言ってたから。」
モ:「(ユーマ、ただのおやじじゃん。。。
小2のくせに、一体どこでそんなセリフを???)
それは先生怒ったでしょう。」
子:「うん。吉岡先生、
ユーマ君の机とイスを廊下に出しちゃった。」
モ:「(机とイスも出すとは、先生の怒り具合は相当なものだナー。)
ふーん。先生も大変だね。
ユーマ君は廊下で反省したのかな???」
子:「ユーマ君、それでもふざけてたから、
放課後、居残りさせられてた。」
モ:「(ユーマはなかなかチャレンジャーだな~)
もうすぐ夏休みだから、9月から落ち着くとイイネ」
コ:「うん!」
クラスににぎやかなコはつきもの。
それを問題視して、先生に文句を言うのはナンセンスで、
基本的に親は不介入であるべし。
困った状況に置かれた時、
どう解決するか?どうやり過ごすか?
子供が学ぶ機会を奪うべきではない。
まだ、いじめなどはないようで、ホッとしている。
先日、読んだ本に”いじめ”について興味深いことが書いてあった。
水槽に複数の魚を入れると、いじめられる魚が出てくる。
そのいじめられている魚をかわいそうに思い、取り除くと、
また別な魚が標的になり、いじめられると、、
これは広い海や川で泳ぎたい魚が
狭い水槽に入れられてしまったイライラを
誰かをやっつけることで解消したいという衝動らしい。
人間も、我慢やルールを理性的に学習し、従って生きているが、
どこかでイライラが募っている。
そのうっぷん晴らしで誰かをいじめたい気持ちが湧いてくる。
いじめることが、なくしようのない生物の本質ならば
それを前提とした子供への指導が必要だと著者は言う。
アタマごなしに”いじめはダメ”というフレーズだけでなく、
どうしたらいじめたい気持ちを自制できるか?
生理的な現象として捉えて対処する必要がある。
スポーツで解消するのもひとつである。
(なるほどネー)
小学生の親というのは悩ましい。。。
この先も、いろいろな課題が待ち構えている。
◇いつからケータイ持たせるか?
◇LINEなどSNSの利用も認めるのか?
◇女のコなら、一人で歩いていて、危険な目に合わないか?
などなど、