日本の”個の尊重”は
とても安易なカタチで
落ち着いてしまったナー🤔
と思うことがある。
家族や親戚付き合いには煩わさもある。
しかし、そういったイチバン身近な
コミュニティを避けると
どういった影響があるか?
一例でいうと、、
地方の女性が都市部を目指すのは、
地方ならではの親密なコミュニティも
煩わしさも一因だ。
・親戚のオジサンが自分の価値観で
結婚などの話をズカズカしてくる😅
・地方で事務職についても
古風なオジサンとの絡みは煩わしい。😩
実家をベースにした社会人生活より、
都市部で、好きなだけ推し活😻を夢見る。
地方の10代/20代女性が減り、
子育て世代が減っているのは、
こういった構図である。
しかし、
人類は家族やまわりのヒトと協力して、
困難を克服し、生き延びてきた。🐒
ヒトとの交流・関わりを絶やさないために
昔から以下のような慣習が定着した。
<地域のお祭り🪅>
毎年、地域住民が集まって協力して、
五穀豊穣や神々への感謝を祈念した。
<法事🕋>
故人を偲ぶことと、残された親族/知人が
その後も交流を絶やさないように
最初は密に、だんだん間隔をあけて集まる。
また、
「快適なモノは人間を成長させない。」
という視点で考察すると、
煩わしさだけを取り去ったらどうなるか?
快適なモノ✨で周りを揃えると
快適ラインのボーダーが上がり、
許容できるものが狭まる。
→日常で煩わしい/めんどくさいが増える。
結局、快適/不快の割合は
あまり変わらないかもしれない。😮💨
スマホの普及/コロナ禍もあり、
おひとり様社会は急速に進んだ。
デジタル革命は利便性の恩恵の裏で
ヒトとのリアルの接点の減らし、
ヒトそのものの成長を妨げる副作用
をもたらした。
たくさんのヒトと接点を持つことは
煩わしさや不快な場面も増えるが
それこそが本人や社会の
レジリエンスを強くする。🤨
個の尊重とは、不快や煩わしさを
削ぎ取って残ったものではない。🙂↔️