2025年2月3日月曜日

個の社会


 日本の”個の尊重”は

 とても安易なカタチで

 落ち着いてしまったナー🤔

 と思うことがある。


 家族や親戚付き合いには煩わさもある。

 しかし、そういったイチバン身近な

 コミュニティを避けると

 どういった影響があるか?


 一例でいうと、、

 地方の女性が都市部を目指すのは、

 地方ならではの親密なコミュニティも

 煩わしさも一因だ。

 

 ・親戚のオジサンが自分の価値観で

  結婚などの話をズカズカしてくる😅

 ・地方で事務職についても

  古風なオジサンとの絡みは煩わしい。😩


 実家をベースにした社会人生活より、

 都市部で、好きなだけ推し活😻を夢見る。


 地方の10代/20代女性が減り、

 子育て世代が減っているのは、

 こういった構図である。


 しかし、

 人類は家族やまわりのヒトと協力して、

 困難を克服し、生き延びてきた。🐒

 ヒトとの交流・関わりを絶やさないために

 昔から以下のような慣習が定着した。


 <地域のお祭り🪅>

  毎年、地域住民が集まって協力して、

  五穀豊穣や神々への感謝を祈念した。

 <法事🕋>

  故人を偲ぶことと、残された親族/知人が

  その後も交流を絶やさないように

  最初は密に、だんだん間隔をあけて集まる。


  また、

 「快適なモノは人間を成長させない。」

 という視点で考察すると、

 煩わしさだけを取り去ったらどうなるか?


 快適なモノ✨で周りを揃えると

 快適ラインのボーダーが上がり、

 許容できるものが狭まる。

 →日常で煩わしい/めんどくさいが増える。


 結局、快適/不快の割合は

 あまり変わらないかもしれない。😮‍💨

 

 スマホの普及/コロナ禍もあり、

 おひとり様社会は急速に進んだ。

  

 デジタル革命は利便性の恩恵の裏で

 ヒトとのリアルの接点の減らし、

 ヒトそのものの成長を妨げる副作用

 をもたらした。

 

 たくさんのヒトと接点を持つことは

 煩わしさや不快な場面も増えるが

 それこそが本人や社会の

 レジリエンスを強くする。🤨


 個の尊重とは、不快や煩わしさを

 削ぎ取って残ったものではない。🙂‍↔️