2025年1月28日火曜日

困難な未来は不可避?


 厳しい未来が来ることが

 分かっているのに

 避けられないのはなぜか?🤔


 〇人口減少(少子化)

  ⇒日本は2040年には2割の労働人口が減る

   いまと同じサービスや

   公共インフラは維持できなくなる。

 〇気候変動

  ⇒1.5度以内の温暖化を食い止めず、

   猛暑日はいまの1.8倍になる見通し。

 〇南海トラフ

  ⇒あと10年で政府想定32万人の死者と

   予想される巨大地震は

   80%の確率とされる

 〇生活習慣病

  ⇒入院患者の約70%は

   糖質過多や運動不足による

   生活習慣病が起因で入院をしている。


 ヒトは日々の生活のことばかり🤪

 考えることに明け暮れ、

 先の未来まで考えられないのか?


 ステレオタイプの情報を

 取り去らい、深掘りして考えてみる。


<人口減少(少子化)>

 過去のヒト(先祖)はお墓や

 遺影があるのでイメージしやすい。

 しかし、まだ見ぬ未来は

 存在を示す記号がないので、

 抽象的でイメージしにくい。


<気候変動>

 テーマが大きく、個人の問題

 として捉えにくい。

 高齢者からすれば、

 ほぼ死後の話だし、

 異常気象や大規模災害など、

 身近に感じることもあるが、

 いま生活できているので

 他人事感が強い。


<南海トラフ>

 10年後か30年後か

 分からない脅威について

 普段の行動を制限するのは難しい。

 住宅を耐震化したり、被害想定の

 少ない地域に移住したりするには

 大きな労力とコストがかかる。


 つまり

 「現状、痛みを伴っていない。」

 こういった原因が根本にありそうだ。


 これは賢くないというよりも

 人間の性質と捉えた方が良い。


 ”減災”につながる行動した方が良い

 とアタマでは理解できる。


 しかし、意思決定は

 常に合理的な理性で

 判断されるのではなく、

 平時は不合理要因(感情)が勝り、

 現状維持を優先してしまう。

 

 日本人の性質として、

 大規模災害時、

 周りのヒトへの利他は

 世界から賞賛されるような

 行動ができるが、

 気候変動で影響を受ける未来の他者

 など、目に見えない対象に対しては

 欧米人以上に関心が薄い。🫤


 大切なのは解像度を高めて

 【自分ならどうしよう?と考えること】


 言葉だけの”標語”として片づけずに

 自分がその場にいたら

 どんな行動を取るか

 奥行きをもって、その先を考えてみる。


 そうすると、、

 ”平時に準備をしておけば良かった😩”

 ”行政や自衛隊は機能麻痺してて

  頼りにできなさそうだ、、😮‍💨”

 などと、自分なりの考えを

 思い浮かべることができる。


 そして、

 その思いを行動につなげること。


 平時のいまを大切にし、

 できる準備を進めていけば

 先々の減災はできるハズだ。🤨